脳内日記

頭に浮かんだことダラダラ書いてくゆるーいやつ。特に中身はない脳みその日記みたいなもん。

もうやめません??

こういうのもうやめません??

 

・男女平等目指そうよ!

みたいなやつ。

基本的に、男女とかに関わらず平等とか差別とかってなくならないものだって思ってるんだ〜

別に「差別万歳!不平等万歳!」とか言いたいんじゃないです。

こういう 平等目指す系 発言の何がいやって、結局その人たちの立場から見て都合のいい部分だけ平等叫んで悪いところは不平等でも見て見ぬ振りするというか、そこだけ不平等が当たり前っていうよくわからん主張が蔓延してると思うんですよね。

 

さっきYouTube見てたらこういうのがオススメで流れてきたんですよ。

【意外】女性に男性の引くポイントを聞いたら回答がエグすぎたwww - YouTube

そもそもこういうアンケートをしてること自体に冷ややかな感情を抱いてしまうんだけど、特に理由もなくなんとなく開いたんですよ。

そしたらまあ 男女平等とかクソだな って思った。

 

何でそう思ったかっていうと

100円単位で割り勘どう思う?って質問に

やだやだやだやだ って嫌悪示す女性いて

それ見てて は???? って...

 

いや、別に奢るのは良い

中学の時からなんかそういう風に教育されたから

自分から誘った時は寧ろ払わなきゃ

って義務感を感じてる

 

で、も、さ、

それ当たり前って相手側に思われるのなんか凄い腑に落ちないんだよな...

ちっちぇー男だなと思われても構わんけど

男女平等めざせー!女性の権利回復ー!

とか謳われてる時代に会計だけさも当たり前かのように男が全額or多く払うって概念残ってるのがなんとも...

 

いや「とか言いながら払おうとしてるやん」ってツッコミされても仕方ないのは分かる

たださっきの動画みたいに

「奢らん男とか無理www割り勘とか無理ww」

って感じで平等なはずのことをしたら男が蔑まれるのがすんごい癪に触るというか...

そういう人って大奥見て育ったのかな。

 

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あの動画見た後に不思議に思ってテキトーにググったらこんなサイトが出てきて、この、男が割り勘にしただけのことが話題になるってのが面白いなって。

 

この話題触れるの、自分の言いたいこと上手く言語化できる自信なかったから迷ったんだけど

ちゃんと語弊ないようにまとめとくと

・別にこっちが奢るのはいいし寧ろそう教えられて育ったから奢らないと引け目感じちゃう

・けど は?なんで奢らんの?みたいな女性は理解できない

・男女平等目指す人が本当にいるならこの話題も触れてみてほしいな、興味ある。

・まあ結論、都合のいい部分だけ男女平等論語る人は偽善っぽくて嫌だな。

 

でも周りの友達にはこんな大奥女子はほぼいない

ご飯とか食べに行って会計するときに

「別々でできますか?」

って自分が払おうとするより先に店員さんにそう聞いてる人が、1人や2人じゃなくいる。

こっちが奢って嫌な気持ちには全くならないし、え、払わせてごめんなさいって思う反面

なんかこの人しっかりしてるんだなー

ってそのとき毎回思う。

なんなら自分の誕生日に奢ってくれた友達もいた

あれは慣れなさすぎてどう立ってればいいかわからんかった(ごちそうさまでした)

 

奢られるの嫌だって方もいた、あの動画に出てた人と比べるとトランプ大統領ウド鈴木くらい対極の存在だ。

 

最近は友達にアドバイスされてちょっとルール決めたよ

これからも仲良くして長い付き合いになるだろうな

って女性の友達には、奢り義務を感じないようにしてる。

ちょっとしたものなら気にしないけどね。

 

まあそんなこんなで

もっと色んなことについて もうやめようよ〜

って思うこと書きたかったけど

安定に話が逸れて随分と長くなったのでここで終わりです。

 

あなたも御用心なさいませ、さようなら。

(引用元: 葉山嘉樹「セメント樽の中の手紙」)

 

 

 

 

 

 

ちょっとしたひと言

小説は一気に読破したい派。

春休みに入ってからバイト詰めすぎたり車校詰めすぎたりで家で一冊集中して読む時間があんまり取れなくて、春休み前に「何冊か小説読みたいな〜」なんて考えが飛んでった今日この頃。

「小説読む時間取れないなら短いの読もう」

って思って読んだことある小説の短編集を珍しく再読しだして、最近はもっと短い時間で楽しめるのを求めて英詩を読み始めました。

 

読み始めた、って言っても去年授業で使う為に買った「アメリカ名詩選」って本が家にあったから、英語の勉強にもなるかなって軽い気持ち&シンプルに詩を読むのそれなりに好きだから(詳しくはないけど)って感じで。

せっかく買ったのにちょっとしか授業で使ってなくて勿体ない気もしたので。

 

ちなみに去年授業受けてて好きになった詩人は、小説家としても有名なエドガー・アラン・ポーです。

ヘレン To Helen:エドガー・ポーを読む

一個だけオススメ貼っておくので興味ある人読んでみてください。

同じタイトルで数年前に発表された作品の方が全然有名で授業で買った本にもそっちしか載ってないけど、こっちの方が個人的には全然好き。

(あくまで自分の感覚でだけど)ポーの他の詩にもたまに現れる女性に対する耽美さみたいなものだったり、物語的な雰囲気が👍👍

 

って前置きはこの辺にして

 

みんな詩を読むときってどんな風に読みます?

自分頭悪いのであんまり深く考えられないんですけど、最近読んでて気になったことがあって。

「誰目線か、主人公誰なのか」

って。

この春休みに知っためちゃくちゃ好みな詩を書いてるウィリアム・カーロス・ウィリアムズって方がいるんですけど、その人の“This is just to say” って詩(下に貼っておきます)を読んだ時、自分は何の疑いもなく「これは中年の旦那さん目線の詩で、奥さんに宛てたものなんだろうな」って思ってたんですけど、この詩について他の人の感想・考察なんかを調べてみたら、「若いカップルの詩」だとか「子供から親に宛てた詩」って読んでた人もいて、たしかに言われてみれば「中年の旦那さん」だってわかる描写なんて全くなくて不思議だな〜って思ったんです。

詩の内容はすごく簡単で詩というよりメモの端書みたいな感じなんですけど、逆にそのシンプルさが読み手に自由を与えてて面白いな〜って思いました。

 

もちろん「目線」がしっかり断定できる作品もあるけど、はっきりした証拠が無いものは主人公がどんな年齢層の人かを色々想定して読んでみるとまた少し詩が違う雰囲気になって楽しいです。

 

This Is Just to Say

       William Carlos Williams

I have eaten
the plums
that were in
the icebox

and which
you were probably
saving
for breakfast

Forgive me
they were delicious
so sweet
and so cold

 

ちょっとしたひと言

         ウィリアム・カーロス・ウィリアムズ

冷蔵庫に

入っていた

すもも

たぶん君が

 

朝食の

ために

とって置いたものを

失敬した

 

ごめん

うまかった

実に甘くて

冷たくて

【訳は アメリカ名詩選(岩波文庫)からです。】

 

この人の「啓示」って詩が1番好きです

良かったらオススメの詩なんか教えてください

叙述トリック系の小説好きで小説の時は目線とか注意して読むのに、なんで今更って感じだ。

オワリハジマリ

今日は人生で初めて20歳を迎えました。

今まで18歳とか19歳は迎えたことがあったんですが

20歳を迎えたのは今日が初めてで

正直少し戸惑っています。

 

さっき人生初飲酒を経験しました。

コンビニで甘くて美味しそうなお酒ないかな〜なんて陳列棚を眺めたら親にエビス?のビールが1番いいビールだよと言われたので流されてそっちにしました。引くくらいお口に合いませんでした。

でもまあ、やっとお酒飲めるようになったのでこれから少しずつ色んなお酒飲んでみたいですね。

 

20歳からはやっと名目上「大人」になるので、その文字についていけるように頑張りたいです。

こんな大人になりたい!

って細かい理想像みたいなのはないんですが

一個だけ確実に決めてることがあります。

そ、れ、は、

「遊び心を忘れない大人になる」

です、、、!

日常生活から日常会話から仕事から勉強から身に付けるものから何から何まで、大人になったからっていって堅苦しい感じにならず、程よく抜けて程よく遊び心取り入れて人生楽しみたい、そんな大人になりたいです。

というより、多分堅苦しい人になれないからそう思ってるだけなのかもしれない。

やっと大人になれたって感じだけど、

人生80年くらい生きると考えると圧倒的に大人の期間の方が長いから、精一杯生きよう。

 

20歳になったらやりたいことがいくつかあるので全部定期的に叶えられていけたらいいな。

 

・スポーツバーで海外の人とお酒飲みながらサッカー観戦

・免許取って友達と遠出

・クレジットカードを作る

・友達と程よくお酒の席を楽しむ

 

まあどれも大人なら簡単にできることだけど今まで我慢してきたから、これから楽しむ。

全部もう予定なんとなく立てれてるから楽しみ。

 

20歳の目標 で言えばほんとにこんなもんです。

とりあえずハッピーに生きたいです。

 

明日20歳なって初めての昼ごはん。

何食べたいかって聞かれて思案した結果

(今帰省してる)大阪の近所にある、おじさんおばさんたちが集うよくある喫茶店に行きたいって答えが出た。

今もまだ潰れず営業してるか分かんないけど、

昔おばあちゃんとそこで何回か朝ごはん食べてた記憶あるから、そこで久しぶりに食べたいな。

昔からめちゃくちゃおばあちゃん子だったから明日久々に会えるの楽しみです、あと何回会えるのかな〜とか考えると凄いおセンチになるけど、しっかり目に焼き付けたいです。

 

10代よりもめちゃくちゃに楽しんで色んなこと経験していきたいな。

20歳になった自分を世界中の皆様何卒よろしくお願いします。

 

20代のハジマリだ〜!

ジコチューに行こう!

最近自分の中でちょっとした改革をしてる

 

いくつか前のブログでも触れた気がするけど

自己中心的で周りに迷惑かけることを顧みない人がすごい苦手でそんな人には絶対になりたくないって思ってるんだけど、これからは、もちろん周りに迷惑かけない前提で、もう少し自分のやりたい事に時間を使っていこ〜って決めた。

 

まあ正確に表すなら

「自分の幸福度を下げる要素を徹底的に排除していく」

 

この言葉は2019年に入ってから何回も何回も自分の脳内を周回してて、個人的には気に入ってるスローガン。

今年に入ってから、特にめちゃくちゃ嬉しいってことがあったわけじゃないけど、でも反対に「嫌だな〜」って本気で思うことも少なくなってて、なんかそんな穏やかな日々が凄い居心地がいいなって、一月の終わり頃に気づいた。

それで、この平穏な状態、虎舞竜の言葉を借りるならなんでもないが故のこのしあわせな感じを維持したいなって考えたら、このスローガンに帰着した。

 

ちょっと協調性のないような発想かもしれないけど

自分の気分を害するような、一緒に居てめんどくさいなって思わされる人とも積極的に距離を置こうってのが脳内閣議決定された😇

全然悪い意味だとは自分では思ってないけどね

自分の大切な時間をわざわざ嫌な思いしながら共有したくないし凄い勿体無いと思いけり。

最近ハマった某バンドの歌詞の

「たった一回の人生を傷つけられて黙ってられるかよ!!」

ってとこにも共感を覚えてる。

 

根がネガティブなネガネガ人間な自分からすると

ここ2ヶ月ほとんど穏やかに生きれてるのは

すごい成長、偉いぞ自分。

 

ただ、大丈夫、やりたくない事とやらなくていい事の分別はしっかりしていくよ。

自分で大学入ったのに「勉強したくなーい」

みたいな状態にはならないようにするよ

なんなら英語は能動的にしていきたいとまだ思えてるから多分大丈夫。

 

ちなみに幸福度を下げる要因だった

ウェブライターのバイトもついに辞めちゃった

3ヶ月くらい続けたしそちらの仕事のノウハウ・仕組みなんかもある程度理解できたし。

得られるものは得たつもり。

ただ、会社の体質やら雰囲気が合わなさ過ぎた。

だから、飛んだ。(ごめんなさい、でもそれなりに理由という名の言い訳もあるのです)

ただこのバイト経験したおかげで就活の時に1つ軸となるものも出来た気がする。

 

タイトルにある「ジコチューに行こう!」は

このブログ書こうとした時になんとなく頭に出てきたから特に意味なく。

まあ、使用するからにはちゃんと曲は聴いた。

乃木坂の歌だってこともはっきりわかってなかった

 

めちゃくちゃ最後話逸らすけど

ああいうアイドル見ると そんな可愛くない

と仰る方もいるとは思いますが、

タイトルの曲のMVを見た感想としては

あんな人たち実際同じ大学にいたら

目移りしまくるな

って感じです。

少なくとも自分は目移りし過ぎて眼球増えそう。

 

おしまい。

 

 

褒める=ハッピーではない

これは最近街で出くわした不満から、「人のふり見て我がふり直せ」的なノリで気をつけよって考えさせられた話。

 

人を褒めるってのは、素晴らしいこと。

まあこれは不変の真理的なところある。

褒められると誰だって嬉しいし

褒め上手な人はそれだけ相手の良いところを見つけられる人だから素晴らしい。

 

けど「褒め方」ってすごい重要だなと思う。

ちょっと前になんとなく店頭に飾られてた服に目がいって眺めてたら店員さんに話しかけられた。

その時の印象だけで判断するのはfull of 偏見かもしれないけど、明らかに中身のない薄っぺらい人間だった。

自分は西野カナと違って(参考文献: 「私たち」by 西野カナ)自分のことを1番理解してるって思ってる人間だから(そうでありたい、客観性は大事だけど)、褒められた時に「そう?嬉しいなあ自信付く」って思える時と「それは違くない?絶対なくない?」って思っちゃう時がある。

その店員さんがまさに100%で後者の気分を味わせてくる人間だった。

自己認識と明らかに乖離してる褒め言葉はこれほどまでに人をイラつかせるんだなってその時悟りました。

その人が本心で言ってるのか、ただ服を売りたくてお世辞を並べてるのかはこの際どうでも良くて、相手にいかに「この褒め言葉は本心です」って伝えられるかが大事だと思う。

 

イラついと同時に、自分が人を褒める時も気をつけないとなと思った。

能動的に人を褒める時は、お世辞みたいに思ってもないことに時間と心使うのは嫌だし逆に不純な気もして極力やりたくないから、本当に褒めたいと思った時にしか褒めないけど、本心で言ってるのに相手を不快にさせたら元も子もないなって。

 

人を褒めることよりその褒め方が大事だなって

某アパレル店員さんから学びました。

 

ちなみにいつもお世話になってる服屋さんは

その裏のある褒め方をしてくる店員さんがいなくて、服屋で話しかけられるのは基本嫌だけど、その褒め方は全然嫌ではない。

だからいつもそこでお金使っちゃうのか。

 

ちなみに自分は言われて嬉しい褒めフレーズが2.3個ある。

自分でそう思ってるというよりは、少しくらい自己肯定しないと楽しく生きていけないから♡

だから、そのフレーズを不意に誰かに言われると「うわぁ...!」って舞い上がる。

 

スーパー単純担当大臣。

 

おしまい。

中学時代の文通

最近ふと思い出した、中学時代の文通。

小中学校が沖縄で高校から愛知に入ったけど

高校の友達に中学時代にやってた文通の話をしたらすごい驚かれて、それで自分も驚いた。

それでよくよく話を聞いたらみんなの(愛知の)中学では文通なんてなかったって。

 

すっごい驚きだったこれは。

これ読んでる人の中にも

「文通??誰と??」

みたいになってる人もいるかもしれないけど

本当に沖縄の中学(調べたら那覇市内に多いらしい)では当たり前の文化なんですよ。

女子が圧倒的に多いけどね。

 

文通の話するには姉妹兄弟制度?も話さなきゃ

中学に入ると、先輩とか後輩に姉妹・兄弟関係ができるんですよ。

本当に馴染みない人からしたら意味分かんないかもね

例えば、男子の先輩が可愛い後輩居たら

「自分の妹分(いもぶん)になって」

みたいな感じでアプローチ?して、文通のやりとりを始めるみたいな感じです。

女子の先輩後輩同士での「妹分⇄姉分」とか、「弟分⇄姉分」とかも同様に。

 

男子からすると可愛い妹分が居たり姉分が居たりすると一目置かれて、女子でもかっこいい兄分とか弟分がいるとステータスの一部みたいな感じだった印象がある。

 

ちなみに、「妹分」の妹って文字は、ケータイじゃ出てこないけど「さんずい+女」、姉は「さんずい+市」だった気がする、地域によって違いはあるかもしれないけど。

 

女子の方はもっといろんな関係性があって

裏兄分とかニコイチ?とか、本当なに言ってるか分かんないような関係性が沢山あって、そんな手紙書く時間あるの?って感じだった。

下敷きにその関係図を書いてる子とかいて、家系図みたいだな〜って思ってた記憶ある。

 

もちろん、妹分とか関係なしに文通のやりとりも多かった。

というより、気になってる相手とかいたら文通をするみたいな感じで、だから「文通しよ」って女子から言われると少しドキッとした。

多分当時はケータイを持ってる人と持ってない人がいたからなのかな。いやケータイ持ってる人同士でも全然やってたし、メールでやりとりしながら文通もするみたいなよくわかんない状況だった。

 

けど、捉え方によってはあれも青春だね。

自分と文通してる他のクラスの子が休み時間になると教室の前に来て(他のクラスに入っちゃダメだから)外から呼ばれたりクラスメイトに「来てるよー」って教えられたり。

 

自分も記憶が正しければ4人と文通してた気がする。そのうち1人は妹分だったけど黒歴史だから葬り去りたい♡

 

始めて文通制度を知ったのが中1の4月で、急に同じクラスで席離れてた子から授業中に友達伝いに手紙回ってきて「??」ってなっててその子見たら「中読んで」みたいなのを口パクで言われて中見たら「文通しよ〜」みたいな内容が書かれてあった。文通を知らなかったから最初はよくわかんないままオッケーしたけど何ヶ月続いたんだっけなあれ、思い出せない。

 

小6の頃から両想いだった人ともやってたな

中学でクラス違った&恋沙汰を周りに知られたくない人間だったから、手紙渡すのも見られたく無くて、休み時間に冷水機に2人前後に並んでみんなが見てない隙にそっと渡すみたいなやりとりしてたの、懐かしの翁だな。

 

今となってはいい思い出かな、笑えるね。

もらった手紙捨てて親に見られるのもやだし、捨てるのも申し訳ないから全部保管してた覚えもある。

 

個人的には中学女子っていうと真っ先に文通が出てくるくらい盛んだったから、愛知来てそれを経験してない女子ばかりで焦ったな。

 

今大学2年生だけど誰かやります?♡

4年に1回のペースでなら書く元気あるよ♡

シモベ分とか作りたいな

手紙渡して

「ジュース買ってこい」

みたいな。

 

おしまい。

 

大人の階段登れてる?

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「まあまだ十代なんで」(てへっ)

って挑発をバイト先でパートさんに向かって言ったり同学年の20歳迎えた人達に言ってたけど

そんな自分もあと1ヶ月ちょっとで20歳。

驚くほどに自覚はない。

自覚だけじゃなくて多分その素質の欠片もない。

 

中学生の頃とかは

「大人になったらこんな俺でもまともな考え方してるのかな〜」

なんて思ってたけど、すまん中坊の自分。

今のところまだその予定がまるでない。

 

いつになったら自分の考えは大人っぽくなるんだろうなって最近考える。

多分そう考えてるうちは大人にはなれないんだけど。

人の細胞は3年間で全て入れ替わる

って習ったから中坊の自分よりは成長してるはずではあるんだけど(そう言うことではない)

 

でもまずは大人の定義をしっかりさせたい。

法律とかそういうのじゃなくて

「大人として」「大人らしく」って言葉が使われる時にイメージされてる「大人」について。

めちゃくちゃ生意気ながら、自分より年上でも「こいつアホかよ」って思っちゃう人なんてザラにいる、こんな人達みたいにはなりたくないなって。

最近で言えばセブンイレブンの不適切動画で話題になった人も21歳らしいね。

1つだけ言えるとしたら自分はパンケーキ食べたさにテンション上がって白滝が可愛く見えるくらいに目が錯乱するような大人にはなりたくない。

 

ちょっと前に就活の企業説明会・セミナーみたいなのに出向いた。

もちろん気になってた企業の話を色々聞けて満足だったんだけど、そのセミナーで1番印象的だったのは、その話を聞いた企業さんの社員さんのかっこよさ。

4社くらい話聞いたけど、その内の2社(名前は伏せておくけど)の社員さんの立ち振る舞いが凄いかっこよかった。その中に自分が一番気になってた企業もあったから余計に惹かれた。

 

セミナーに登壇してた社員さんは大体若手社員で、自己紹介を聞いても自分と5歳くらいしか変わらないのに圧倒的に自分とは違った。

その時に「この人みたいになりたいな」って無意識的に思った。

そのかっこよさを上手く言葉にできないんだけど、冷静さ・知的さ・ユーモア・自信が立ち振る舞いから溢れ出てた。加えてイケメンだった。

企業のこと知れたことよりもそんな大人に出会えたことがあのセミナーに行った一番の収穫だったかもしれない。

 

どんな大人になりたいか分からない間は

自分が惹かれた大人達みたいになりたいって考えておけば良いのかな。

 

でも、こういう大人になりたいって要素は1つだけしっかり確定してるものがある。

自分のモットーみたいなのにも少し関係するけど。

「どんなものにも遊び心を」

ってのをよく意識してる。意識してるのか無意識にそうなってて後から気づいたのかその順序は分からんけど。

日常会話から仕事から服装まで、堅苦しいのは嫌だから、常に遊び心持って生きたい。

もちろん節度は守る。切った魚をゴミ箱経由で調理なんかしない。

自分がセミナーの時にかっこいいと思った社員さんも、話の中にユーモアがあったから、それも遊び心の一部なのかな。

 

20歳になったら自分にちょっとお高いブランド品を買おうって決めた。

だけどその時はちゃんと「大人×遊び心」を意識したものを買いたい。

最近色々調べすぎて検索エンジンの履歴がお金持ち。

 

いつ旧友に会っても「全く変わってなくて安心した〜」って言われるけど褒め言葉なのかな。

でも、大人らしくなりたいけど遊び心忘れない今の生き方も好きだから、上手い具合にブランドされないかな〜。

 

まあ某曲の歌詞を踏まえたら

自分はまだシンデレラだから、魔法が解けるまではのんびり大人の階段登っておこう。

どうか踏み外しませんように。

 

 

p.s.

ふとアクセス解析見たら5000になってました。

最近更新頻度少ないのにびっくり。

暇な時にぼーっと眺めてくだせぇこんなブログ。

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