知識は力なり
春休み3日目
バイト3連勤(個人的には珍事)でバイト終わりはぐうたらして夜寝る前に焦って軽く単語帳でお勉強する生活。
勉強ってなんでするんだろうね
って疑問は義務教育を受けた人間の7割が一度は抱くものらしいです。(事実とは異なります)
自分も中高生のころたまーに考えてた
でもそれと同時に
勉強なんてしても意味ないじゃん
って一言で勉強やらないことを勝手に正当化してる人には嫌悪感を抱いてた。
いや今もそういう人が周りにいたら
なんだこいつ〜って思うかな。
中高生の頃の自分の中でのその問いに対する答えは
将来の仕事の苦に耐えるため
って定義付けてた
仕事=苦 って簡単に結びつけて良いかどうかについては今は置いといて、
将来、自分がやりたい職種につけても、入りたい会社に入れても、必ずその中で自分がやりたくないことが多かれ少なかれあると思う。
その時に やりたくないからやらない
って理由で逃げてたら社会で生きてけないと思うんだけど、勉強ってそれに近いものがあるんじゃないかって思ってた。
勉強がしたい・好き・楽しいって思える人は多くないと思うけど、その中で多少苦になってもそれをやり通す力を学生のうちに身につけておかないと将来死ぬなって中高生の自分は思ってた。
もちろん「好きなことで、生きていく。」
って謳い文句が横行してる昨今だから
勉強なんてしなくていいよって人もたくさんいるだろうけど、高校生からはそれは通用しないんじゃないかなって思う。
義務教育終わったら勉強したくなけりゃ高校行かなければいいだけだし。
高校に自分で入ってきたのに「勉強なんて意味ないからしたくない→(思考の転換)→しない。」って言ってる人は根本からアホなんじゃないかって勝手ながら思ってました。
時間とお金が勿体無いことこの上ない。
大学でもまた然り。だけどね。
だから高校・大学に自分で進学したなら
やりたくない、やりたいに関わらず
勉強はするものだと思う。そういう場所。
「やりたくない事とやらなくていい事を混合する人は糞食らえだ。」ってのを何度思ったことか。
まあ自分は母子家庭なのに大学まで行かせてくれてるからやらなきゃって私情も多少あるかもね。
ちなみに勉強したくないからしないって人が謎にドヤ顔で言い放つ言葉第2位は
「勉強だけが全てじゃないよ」
です。
だからその度に思ってました。
「君勉強すらしてないじゃん。+αの部分にだけ目向けてたら本末転倒じゃ〜ん。」
って。言い返さないけど。
まあそんなコトを頭の片隅にいれながら
自分は勉強してきたんだけど
大学に入ってからそれに加えてまたもうちょっと違う角度からの答えも出てきた。
勉強、少し言い換えると知識・教養は
日常生活であると役に立つ、ないと困り得る。
この場合の知識ってのは本当に幅広い意味で
エンタメだったりゴシップだったり
そんなのも含めてるつもり。
これがないと、会話してて面白くない。
語彙力云々の問題じゃなくて
知らないとユーモアが通じない。
これはでも今に始まったコトじゃなくて
高校の古文の教科書に出てくる話でも似たようなものがあった気がする。
貴族さんが会話の中で漢文の引用をしたりして
まあ、素晴らしいですわね
みたいな流れ。
これは普通に今の世界でも似たようなコトあると思う
ここ1年くらいで何回
「え〜僕は嫌だ!」
「いや欅やん」
ってやりとりを見聞きしたか。
これも相手が欅坂の元ネタ知らなければ
ただ急に 僕は嫌だ! って叫ぶ変なやつになってしまうからユーモア殺しになるなって。
まあ、すっごい身近過ぎる例でなんだかこの考えが凄い浅はかなものに思えちゃうけど。
でもまあ、知識の使い方も気をつけなきゃだけど。
自分が知ってるからってワザと相手にそれを見せびらかすように話すと相手に不快な思いさせそうだし、そういう線引きは難しそうだけど大事そうだね。まだ見せびらかすほどの知識ないから悩み無用だけど。(伝われ)
タイトルにある「知識は力なり」
ベーコンの有名な言葉だから聞いたことある人多いと思うけど、ずっと「知は力なり」で覚えてた。
いや、間違いではないらしいけど
調べてたら、ラテン語の原文では「知」よりも「知識」の狭義の意味の方が良いらしい。
これもまた一興。
まあそんなこんなで、一緒に話しててつまらない人間になりたくないって想いも込めてこれからもちゃんとボチボチ勉強していこ。
去年の年末は全然詳しくなかった西洋美術史の本買って少しずつだけど知識蓄えてる最中、普通に興味あったからってのもあるけど。
知識増えると色んな人との会話の共通項が増えて役に立つね。
おしまい。